夏の庭 『頼山陽史跡資料館』


広島市の中心部
旧日銀の裏手には

『日本外史』を著した頼山陽の家がありました

今は中区中町ですが
かつては杉の木小路と言ったようです

今は頼山陽史跡資料館となり
門の正面奥には頼山陽の銅像があります


頼山陽は大阪生まれ
母は大阪の儒者飯岡義斎の娘
父の春水が広島藩の儒者として登用され
11歳からこの杉の木小路に移ってきました

18歳から江戸の昌平坂学問所で2年間学び 
20歳で広島藩医御園道英の娘淳子(15歳)と結婚するも 翌年祖父惟清の弟の弔問に竹原に行く途中に脱藩
しかしすぐに京都の潜伏先から連れ戻され屋敷の離れの座敷牢に幽閉されました

それがこの『国史跡頼山陽居室』
(昭和33年復元)
ここで『日本外史』の草稿が練られました



脱藩は大罪ですが
辛くも罪は逃れたものの廃嫡され妻は離縁
翌年生まれた聿庵は山陽の母静子によって育てられます

山陽は足かけ5年間幽閉された後
神辺(かんなべ・福山市)の菅茶山の廉塾で講師に迎えられますが
32歳から京都に移り私塾など開く一方
『日本外史』の手直しや詩作に専念します

ところで『日本外史』とは---
源氏平氏から徳川氏に至るまでの
武士の興亡を漢文で著した歴史書で
頼山陽が47歳に22巻を完成させ
翌年松平定信に献上したところ「穏当にして中道をうる」と評価され天下に認められることになりました
幕末の志士たちにも大きな影響を与えたとも言われています

さて振り返ると資料館の入口になり
竹林の中庭が涼しげです



資料館の外庭にも
夏の日差しが降り注いでいました