鍛冶信仰と鳥とシャーマン(引用)

 北海道の西北部、小樽市の近くにある余市(よいち)町でのこと。昭和25年(1950年)の春、地域の人が「丸山」と呼んでいる崖山を崩して土を果樹園に運び出す作業中、突然、土がドドッと崩れだし、山の上方にポッカリと小穴が開いたのだそうです。穴といってもたいへんに小さなもので、子供が腹ばいになってようやく入れるほどのサイズで、中に蛇がいたりしたことから、誰も中に入って調べようとする人がなく放置されたそうです。
 その後、8月に入り、海水浴のシーズンになって、ここに遊びに来ていた大塚以和雄氏(当時、札幌南高等学校在学)が偶然この小穴を見つけ、好奇心から内部にもぐりこんだところ、貝殻と土器片を発見。
 大塚氏は郷土研究部に在籍していたため、この件を顧問の先生に伝え、これがきっかけとなって翌、昭和26年に正式な調査がおこなわれ、調査を開始すると、洞窟の内部に線画が描かれており、「角のある人間だ!」「翼がある!」など、調査団から次々と驚きの声が上がったそうです。こうして、今から 2000~1500年前の遺跡「フゴッペ洞窟」が現代に目を覚ますことになったのだそうです。
 この時代は、縄文時代のすぐ後であり、本州や九州・四国地方では弥生文化に入っていましたが、寒さの厳しい北海道では、縄文時代と同じように、稲作ではなく、狩猟・漁労・植物採集などで暮らしていたものの、金属器を使った形跡があることから、縄文時代とは違うという意味で「続(ぞく)縄文時代」と名づけられた時代に、この遺跡は属しているそうです。
 昭和26年から3年間にわたる本格調査の結果、壁面に200を超す謎の彫刻群が確認されました。
 洞窟は爪で容易に傷がつくほどのやわらかい石質(凝灰岩)でできており、風化が激しく、彫刻群の崩落の危険もあるため、1972年、日本最初のカプセル保存方式(ショー・ウインドウのような形式での保存展示)が実施され、一般公開されるようになっています。
 こうした崩壊しやすい石壁が2000年近く守られてきたのは、入口をふさいだ丸山の土と内部の堆積層だといわれています。たまたま、その入口の土が崩れたため、存在が知られることになったのですが、世界で有名な絵画洞窟、スペインのアルタミア洞窟壁画も12歳の少女によって、フランスのラスコー洞窟も、 14歳の少年によって発見されており、フゴッペ洞窟も同様に少年によって発見されているのは偶然とはいえ不思議なことだといわれています。
 このフゴッペ洞窟の近くの小樽市には、慶応2年(1866年)、石材をとっていた石工によって発見された手宮洞窟もあります。
 ここにも彫刻線画があり、内容はどちらも共通する部分が多く、時代も今からおよそ1600年前の続縄文時代中頃~後半の時代ということで同期していることから、共通な文化体系のもとに生まれたものではないかとみられています。
 手宮洞窟では、刃の部分の傷んだ石斧が出上していることから、彫刻はこのような石斧などによって刻んだ後、磨いて仕上げられたのではないかと推定されています。
 この種の洞窟の線画は、日本では今のところ、フゴッペ洞窟と手宮洞窟の2例しか発見されておらず、たいへん珍しいものだといわれています。
 ところで、フゴッペ洞窟の絵画ですが、北と南の岩壁に線画が集中しており、左右に広がる羽を背中につけた人物、頭に2本の角のような突起をつけた人物など、シャーマンと思われる人物像が線画の大半をしめており、こうしたところから洞窟の内部は、神聖な祭祀空間であったと考えられています。
 舟や魚や四足動物(角つき)も少数見られますが、やはり画題の主軸は多数の人物像であり、特異な雰囲気をかもしだしています。
 日本には2例しかないこの岩壁画は、日本海を囲むロシア・中国・朝鮮半島などにも見られるそうで、こうした地域を覆う広い文化圏があったのではともみられています。
 手宮洞窟の彫刻には、角のある人物が表現され、さらに、手に杖のようなものを持った人や、四角い仮面のようなものをつけた人が描かれ、このほか角のある四足動物も描かれています。
 この動物はシカとみられ、人物の方も鹿角を頭につけているのではと考えられており、同じように鹿角をつけて儀式をおこなうシベリアなど北東アジアのシャーマンとの関連が指摘されています。
 ところで、シカに呪術性を求め、国作りを進めていたとみられる「唐古・鍵(からこ・かぎ)遺跡」は、弥生時代前期~古墳時代前期まで600年以上継続された遺跡として知られていますが、「うんちく【53】」で触れたように、ここに多数のシカと一緒に、シャーマンと思われる人物像が土器などに描かれています。
 興味深いのはその腕で、大半が万歳の形で、両腕を振り上げているのですが、この腕は直線的な描写となってはおらず、鳥羽をつけたような方形の表現になっています。シカの群れの中に鳥装のシャーマンが存在しているといった、非常に不思議な図式となっているのです。
 この「唐古・鍵遺跡」の分村とされる「清水風(しみずかぜ)遺跡」から出土した土器絵画の人物像になると、左右の腕に明瞭な翼と思われる大きな袖がつき、両手を万歳の形でやはり上にあげています。
 奈良県の坪井遺跡の土器絵画は、右上半身しか残されていませんが、同じように振り上げた腕の袖には、かなり写実的な鳥の羽のデザインが見られます。
 また、頭部に鳥の羽が描かれている例として、大阪府の「星ヶ丘西遺跡」の人物線画が知られていますが、鳥の羽を思わせるものを頭に付けた例も現れ、他に鳥装シャーマンと思われる線画は、鳥取県の稲吉遺跡、岡山県の新庄尾上遺跡などの弥生土器にも見られるそうです。
 弥生時代には、鳥の羽のような袖をたらしたシャーマンが腕を振り上げ、鳥の羽ばたきのような「袖振りの儀式」をおこなっていたことを土器絵画が示しているとされ、この鳥装は、北方民族のシャーマンを思わせるスタイルだともいわれています。
 ところで、紀元前400年を上限とする中国の春秋末から戦国初期にかけての墓から、頭に2本の鹿角をつけた鶴の姿をした青銅製の霊鳥が出土しているそうです。
 鳥とシカが合体したものとはたいへん興味深い遺物ですが、こうした鳥とシカに比重を置いた呪術は弥生時代の特徴的なものともいわれ、弥生時代は金属器の文化でもあるため、「金属」と「鳥」と「シカ」の3者は、不思議なほど、密接なつながりをもっているとされています。
 なお、これらの3要素はヒッタイトに無関係とはいえない要素であるという点も、ここで付け加えておきます。
 北方民族のシャーマンが鍛冶、特に鉄にかかわりのあることについては、すでに何度か触れていますが、鳥と鍛冶師との深いつながりはアジア各地の神話伝承に広く見られるといいます。
 「うんちく【51】」で触れたように、鉄の神様である「金屋子神」は白鷺に乗ってきたという「鉄山秘書(1784年頃成立)」の伝承。さらに鍛冶師と縁の深い「八幡神」も、この神自身が「鍛冶の翁」として現れ、金色の鷹や鳩となるなどの伝承があり、このように日本でも、鍛冶と鳥の深いかかわりがみられるそうです。
 すでにこちらの連載で何度か触れていますが、「鍛冶」とは、古代において神と交わる神聖なものとされ、金属器を鋳造することが古代のシャーマンの重要な仕事であったともいわれています。金属鋳造において重要なのが火の制御であり、それは風によってなされるため、火を制御する「風の象徴」として「鳥のしぐさ」、すなわち羽ばたきを真似ることが鍛冶シャーマンの呪術としてあったのではないかと推定されています。
 羽のような腕を振り上げた鳥装シャーマンの線刻画は、このことを示しているのではないかといわれています。
 フゴッペ洞窟の人物画も、腕とは別に翼がつけられ、その翼を振り上げるようなスタイルで描かれており、こうした「有翼シャーマン」のポーズは、弥生土器に描かれた人物と共通しています。

2013年春アニメ覚書

XPパソコン処分の前に中に残ってたデータを移行中…今季アニメが微妙なので過去作を飛ばし見するついでにちょっと覚書『はたらく魔王さま! 』『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』這いよれ! ニャル子さんW変態王子と笑わない猫ラノベアニメが大ブームだった時期でしたが『ゆゆ式』&『あいうら』萌え4コマ勢も良作でしっかり足場を固めてます私がニコ動でアニメ見るのも普通の事になっ